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昨年は、あまり更新ができませんでした。今年は、マメに更新するように頑張ります。
今回は、近・現代銭で少し珍しい物を紹介したいと思います。
まずは大型50銭黄銅貨 1946年(昭和21年)発行 光線入りです。
写真で良くわからないかもしれませんが、鳳凰の頭部と50銭の文字の間に裏面の稲の茎が陰打ち状に
なって現れ、光線の様に見えるものです。
雑銭の中から偶然見つけた物ですが、実際どの位の割合なのかわかりません。
次に穴ナシ5円黄銅貨 1948年(昭和23年)発行の珍しい物を紹介します。
裏面の鳩の背中の上に2~3本のたて線が付いている物です。
これも写真ではわかりずらいかもしれませんが、戦後の混乱期でプレス機械にキズが付いていたものか、
陰打ちで表の国会議事堂の縦格子がうつっているものかわかりません。私は後者だと思っています。
これも偶然に手に入った物で、どの位の割合なのかわかりません。
また、表の国会議事堂の右側の平な部分から塔に向かって、煙が立ち上っているように見える物もあります。
(私は持っていませんが)
どちらもエラー銭として珍しい物です。
めずらしい物から紹介していきます。
皇朝十二銭 神功開寶 天平神護元年(765年)
皇朝十二銭 延喜通寶 延喜7年(907年)
皇朝十二銭は、和同元年(708年)初鋳の和同開珎より天徳2年(958年)初鋳の乾元大寶までの250年間
にわたり鋳造された十二種類の貨幣です。
近代律令国家の成立を目指した当時の政府は、貨幣発行も近代化政策の一環として、隣国である唐の貨幣
政策を模倣しました。しかし当時のわが国は、貨幣を必要とするまでに経済は発達していませんでした。
そこで政府は「蓄銭叙位令」等の様々な貨幣流通促進政策をとっていくようになりました。
貨幣が流通しだすと今度は、私鋳銭(贋金)が横行し、これに手を焼いた政府は、和同開珎の次の萬年通寶
を発行して対抗しました。
萬年通寶には和同開珎の10倍の価値をあたえています。これは和同開珎を回収して鋳直し、10倍の価値
を付けた新銭を発行すれば、政府に莫大な利益が入ることになる為です。
その後、この改鋳利益を狙った新銭発行は幾度となく繰り返されましたが、材料の銅の不足等により、鉛銭
も登場するなど次第に粗悪な物になっていきました。
その結果、新銭発行はインフレを招き、庶民の貨幣に対する信用は大きく失われ、荘園制度の発達もあり
次第に元の米や絹を交換の媒体とした時代に戻って行きました。
乾元大寶を最後に以後700年の長い間、政府が貨幣を鋳造することはありませんでした。
やがて11世紀に入り、宋との交易が盛んになると宋銭が流入される様になりました。大量流入を背景に再び
貨幣経済が戻ってくるようになりました。
(日本貨幣カタログ2007を参考にさせていただきました)
皇朝十二銭は、鋳造より千数百年の時代を超えて現存している物です。
平安京の人々、遣唐使、防人等の人々が使ったかも知れない貨幣です。ちょっとした日本遺産と言えないで
しょうか?
日本古代からのロマン溢れる小さな贈り物をこれからも大切にしていきたいと思います。
開元通寶 唐 武徳4年 (621年)
和同開珎の文字の手本となった渡来銭です。特に開の字は和同開珎だけではなく神功開寶も手本としてい
ます。